平成最後の日へ
Garage EDEN 各店では GW も基本的には営業をしております。
「店」という形態であり、その姿を持つものとしてはある意味では当然でもあります。
平成という一つの区切りが終わります。
31年という歴史が幕を降ろします。
不思議なもので若い頃にはこういったことに対して心が深くなることはなく、現在の天皇という方へ対しての想いなどもなにもなく、そもそも天皇制度というもの自体にも賛成も反対もなく、ただそこには教科書的な事実という考えしか持っていなかった。
現平成天皇が退位するというニュースが在り、またこの元号という日本特有の区切りの時間が終わりを告げようとしている時にそこそこの年齢になった自分はなんというかとても思い入れの深い元号だったのだと今更ながら認識をした。
きっとある部分ではその大きな理由は明確で、やはり僕にとっては2011年の3月11日というあの日の出来事がとても大きく、またその後に天皇陛下、天皇皇后が被災地へと足を運ぶ姿を報道などで見て、それがどうこう(つまり良いことであるとか悪いことであるとかという概念的な考え)ということに対しては自分の意見はどこにもないが、現地の方々がそれをとても神々しく受け入れて、涙すら流すシーンを目の当たりにした時に、結果としてそれがどれほど大きなものであるのか、人の心に宿る魂とは美しいものかと思った。
もう一つは退位への想いを述べられた際にも触れていたけれど、「平成という戦争のない時代」ということ。そうか。そんな単純なことだって本当にそれはとてもある意味では例外的な事柄だったのだな。
そんなことを思った。
くだらないと言われても自分の考えの中で続けていることがある。
続けていると言うかそれはあくまで自然的に自分の想いが変わらないうちはという意味でだけれど。
「カッコ良い奴」
それが増えたら良いと。
そう、思って、想い続けて僕は僕の「店」というものを続けている。
カッコ良い奴。
ダサいいじめをしない奴。
無駄な諍いをしない奴。
悲しい貶めをしない奴。
どっかで誰かが泣いてたら手を差し伸べる奴。
なにかが余っていたら分け与える奴。
カッコ良くなりたいってもがいている奴。
そんなことで世界はきっと変わらない。
こんな僕という小さな世界くらいでこの世界は大きくなんてきっと変わらない。
でも、それでいいしそれしか出来ないからせめて言い続けることと想い続けることはやめたくない。
たったそれだけ。
それだけのこと。
どこで誰が見ていようと、感じていようと興味はなくて自分自身が勝手に決めたことを勝手にやろうと思うだけ。
そんな旅物語がきっと好きなんだと思う。
夢想家かもしれないし、ただのバカだけど。
昭和が終わった時はまだ幼いガキだった。10歳かそこらだったんだな。
令和の終わりにこの世界に僕のこの血が残っているのかは分からないけどさ。
いけるところまではいこうって。
そんなことを思っています。
たった一人でもカッコ良い奴が増えたらいいなって。
僕と僕らが立つ Garage EDEN って店はきっとその為に在るのだと思うから。